西都原考古資料館†

設計:川島甲士 1968

地方で限られた範囲にまとめて作品をつくっている建築家がいる。倉敷といえば浦辺鎮太郎、釧路といえば毛綱毅曠、そして宮崎といえば川島甲士である。ということでレンタカーを借りて見て回ったのだが……。
まずは西都原市の西都原考古資料館へ。カーナビをたよりに、このへんかなというあたりに行ってみると、真新しい博物館が建っていた。

研究現場をそのまま見せる展示があったり、新しいこころみがあってそれなりにおもしろかったのだが、これは目指すところの建物ではない。最上階が周囲の古墳群を見渡す展望室になっているので、そこから見渡してみるが、肝心の考古資料館がどっちを見ても見あたらない。しょうがないので1階に下りて、受付にいる人に聞いてみる。

「資料館というのはどこにありますか」。
こんなことを聞いてくる人はまずいないのだろう。最初はぽかんとされた。昔の建築雑誌のコピーを見せるとようやく理解してくれた様子。
「後ろにあった建物のことですね。この新しい博物館が機能を引き継ぎましたので……去年の秋になくなりました」
ああ、やっぱり。新しい博物館を見て、そんなことではないかと内心、予感はしていたのだ。それにしても去年の秋とは。わずかの差で見損ねてしまった。彼女によれば、近くにあったレストハウスも建て替えられてしまったという。

資料館の跡地に出てみた。すぐ隣には広瀬鎌二が設計した木造の古代生活体験館が建っている。
資料館があった場所は公園の一部として整備され、そこでは若い母親が子供を遊ばせていた。
周囲には、たくさんの古墳が保存されている。1500年前のものは残るのに、30年前のものは簡単に消え去ってしまう。それが歴史というものの残酷なメカニズムなのだろう。
そんなことを考えていると、足元に銀色のプレートがあることに気が付いた。

「《西都原資料館跡》……建物は、半地下式構造で、周囲の自然景観をそこなわないように工夫されたものでした。開館以来、220万人を超える利用のあった資料館でした……跡地は、資料館の地形を継承した体験ステージとして、2004年3月に整備されました」
なるほど、ここにあった川島作品は壊されはしたもののリスペクトを受けていたのだな。それがわかって、なんだか少しうれしくなった。

その後は、宮崎市平和台公園のレストハウス、青島の国民宿舎に回った。しかし、どちらもなくなっていた。
唯一、残っていたのが、宮崎県庁の向かい側にある女性センター。ユースホステルも兼ねているが、ユースホステルという宿泊システム自体が時代遅れのものになりつつある今、これもいつなくなってもおかしくないのである。

(取材日:2004年11月7日)